前回11世紀にヴィジャヤバーフ1世が即位した時点のセイロン島は悲惨な状態にあったとお伝えしました。
チョーラ朝の侵攻により、国土は4分の1にまでなり、アジア各国から修学僧が訪れた都アヌラダプラは荒れ果てていました。
一説には高僧が5人以下になっていたために、サンガとなりえなかったと言われていますので、仏教は壊滅状態にありました。

チューラバンサ(スリランカ小史)には、シンハラ王朝復活への道筋が克明に描かれています。
弱冠16歳のヴィジャヤバーフ1世は王家の血筋を持つ王子として、数少なくなった老いた高僧から、“このままではシンハラは滅亡するやもしれない。この国を存亡の危機から救うのはあなたをおいて他にない”と諭され、復活の狼煙をあげるのです。
ヴィジャヤバーフ1世は、遠い海の向こうに興ったバガンという仏教国に助けを求めます。使者を送り、再興の援助を期待します。バガンのアノーヤタ―王は当時40歳。血気盛んな豪傑肌の武将は、この若者がはるか昔に滅んだ上座部仏教を再興しようとしていると聞いて、大いに賭けます。

タトゥン国にあった三蔵経を送り届けたのも、このシンハラ王朝こそが、上座部が醸成された国であり、シンハラ王朝を再興させることが仏教にとって必要だと考えたのでしょう。
アノーヤタ―王は三蔵教だけでなく、800人の僧侶や兵力も送り、加勢を得たヴィジャヤバーフ1世は一気に攻勢へと転じたのです。
余談ですが、この時にスリランカに送られた大勢の僧侶によって、シンハラ仏教は復活を遂げるのですが、この僧侶の中には多くのシンハラ人が含まれていた考えています。
なぜなら、バガンはタトゥン国を滅ぼした際に、多くの仏僧をバガンに連行しましたが、このモン・タトゥンは当時インドシナでもっとも仏教が盛んな国でした。つまり、チョーラ朝の侵攻で壊滅的な被害を受けたシンハラ仏教は高僧も含め多くの僧が離散しますが、海を渡ってタトゥンにも逃れていたのでしょう。これをバガンのアノーヤタ―が最終的にスリランカに送り返したというわけです。
いずれにしても、これによってシンハラ仏教は復活、ヴィジャヤバーフ1世の悲壮な思いは実を結び、ポロンナルワ王国が建国されたのでした。
